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花月 (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
花月 (駆逐艦)[はなづき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

花月 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
花月 (駆逐艦)[はなづき]

花月(はなづき)は、日本海軍駆逐艦秋月型の13番艦〔法令上の通算での序列をいう。昭和20年2月5日付 内令第96号により、艦艇類別等級別表上での花月の序列が満月よりも下になったため、通算で13番艦となる。竣工艦に限れば12番艦である。秋月型駆逐艦の1945年2月5日時点の序列は涼月冬月春月宵月夏月満月、花月の順である。〕。秋月型の第2グループとして、冬月型に分類する文献もある〔〔#歴群秋月p.13,25,143-156〕。花とはの意味で花月は陰暦3月の異称である〔片桐、354頁〕。
==艦歴==
仮称艦名第366号艦として1944年(昭和19年)2月10日に舞鶴海軍工廠で起工し、10月10日に進水。12月26日に竣工した。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により舞鶴での建造に変更された〔遠藤、220頁〕。起工から竣工までは320日しかかからなかった〔。
就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊高間完少将海軍兵学校41期)に編入。残工事を終えて1945年(昭和20年)1月20日に舞鶴を出港して瀬戸内海に回航される〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800、40頁〕〔。この間、旗艦用設備の設置訓令が出され、旗艦設備、電探、単装機銃の設置のほか、水雷用火薬庫を機銃用弾薬庫に転換して、その代償として魚雷2本が陸揚げされた〔。瀬戸内海で訓練に従事するも、髄膜炎患者3名が出て防疫措置がとられたこともあった〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900、19頁〕。
3月15日、同日付で第二艦隊伊藤整一中将・海兵39期)隷下となった第三十一戦隊鶴岡信道少将・海兵43期)〔『第三十一戦隊戦時日誌』、5頁〕に編入される。当時の戦隊旗艦は駆逐艦」であったが、3日後の3月18日に「竹」に代わって第三十一戦隊旗艦となって鶴岡少将の将旗を翻した〔。同日、「」「」「」「」「」とともに広島湾に移動して戦艦大和」の直衛を務め、3月19日の呉軍港空襲では第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機と交戦する〔。3月21日から呉海軍工廠で修理を行い〔、単装機銃10基を増備した〔遠藤、221頁〕。3月26日から27日にかけては重油250トンと弾薬、酒保物品の搭載を行って〔『第三十一戦隊戦時日誌』、46頁〕、「大和」、第二水雷戦隊古村啓蔵少将・海兵45期)の諸艦ともに柱島泊地三田尻と移動した〔。
4月5日、伊藤中将に対して第三十一戦隊から駆逐艦4隻を抽出させて前路掃討隊を編成させるよう命令が出される〔『第三十一戦隊戦時日誌』、62頁〕。これに伴い、「榧」「槇」とともに徳山に回航され、「大和」などへ燃料を移した後に燃料補給〔『第三十一戦隊戦時日誌』、78頁〕。補給後15時に出撃し、大和以下海上特攻隊に合流する〔『第三十一戦隊戦時日誌』、78、79頁〕。約1時間後の16時11分、「大和」から分離命令が出されて海上特攻隊と別れ、18時に柳井に帰投した〔『第三十一戦隊戦時日誌』、79頁〕。4月8日に柳井を出港して第十一水雷戦隊に合流し、訓練や懇談会を行った〔『第三十一戦隊戦時日誌』、79、80頁〕。4月19日、発電機修理のため呉に回航されて4月30日まで修理を行う〔『第三十一戦隊戦時日誌』、53-55、81、84頁〕。なお、修理の間4月21日から26日の間は、旗艦の任を槇に移した〔『第三十一戦隊戦時日誌』、81、83頁〕。
5月20日、来るべき本土決戦に際し、日本海軍では、特攻隊回天震洋特殊潜航艇等の特攻兵器が主力となっていた中で、奇襲を主とした、唯一の水上艦部隊である海上挺進部隊が第三十一戦隊を主力として組織される。引き続き旗艦の任を務め、アメリカ軍の本土上陸に備えていた。7月ころより本土決戦のために戦力を温存、重油不足もあり残存艦の多くは樹木等を使って擬装の上繋留し待機していた。屋代島付近にて「桐」「」とともに擬装繋留し戦力を温存し〔『艦長たちの太平洋戦争 続篇』、183頁、「榧」艦長だった森本義久少佐(当時)の回想による。〕、そのまま8月15日の終戦を迎える。8月26日、横須賀鎮守府第一予備駆逐艦に定められ〔昭和20年8月26日付 内令第749号。〕、10月5日に除籍〔。
戦後は復員輸送艦として用いられた。1947年(昭和22年)8月27日に特別輸送艦の定めを解かれ〔昭和22年8月27日付 復員庁第二復員局 復二第629号。〕、横須賀で特別保管艦として係留の後〔、同年8月29日に青島で戦時賠償艦としてアメリカに引き渡され、「''DD-934''」と仮命名される〔〔『日本の軍艦 11』、175頁〕。調査終了後の1948年(昭和23年)2月3日、の地点で処分された〔田村、149頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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